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人生の価値基準は何か

とりあえず「意味がある」と
「価値がある」は、同じ意味です。

人生の価値を判断するためには、
なんの基準もなしに、良いとか悪いとかは判断できませんから、
当然その価値基準がなければなりません。

ところが、価値の基準といっても色々あります。

倫理哲学の世界的権威、ベアーはこう言います。

我々がどのように価値判断をするか簡単に見ておこう。
学生や食事、テニスプレーヤー、雄牛、水着美人の
真価を決定するときには、
いくつかの基準や標準に基づいてそれを行う。
周知のように、基準と標準は分野ごとに、
ときには場合ごとによって変化する。

だからといって使用すべき適切な基準や標準が
まったく分からないということにはならない。
雄牛を審査する基準を
学生や水着美人の審査に使うのは合わないだろう。
……
異なる学校に入学した学生の審査の場合、
同じ基準が適当ではあるが、標準は学校ごとに異なるだろう。

ある大学にやっと入学しただけの生徒が、
別の大学では優等生になるかもしれまない。
適用される標準が高いほど、点数
つまり志願者に与えられる評価は低くなる。
……
通常、我々が使う標準は、その種に属するものの平均である。
(Baier, op. cit.)

いろいろある基準、標準の中で、
どれを使うべきかは客観的には決定できません。

大学入試でいえば、厳しい点をつける大学と甘い大学で、
どちらが良い、正しい評価なのか、
ということはできません。

ある価値基準Aと、別の基準Bの
どちらがよいかを決定するには、
基準の良し悪しを判定する、
より上位の価値基準Xが必要です。

しかし、数ある上位の基準の中で、
なぜXがよいといえるのかを判定するには、
さらに上位の基準が必要になります。

したがって、価値判断を客観的にすることはできません。

ただ人がそれぞれの場合に応じて
それぞれの基準を使っているというだけのことなのです。

ベアーはこれは人生の価値においても同じであると
言っています。

人生に価値があるかないかは、価値判断である。
おそらくこれは単なる意見や好みの問題であろう。
客観的な答えはたぶんないだろう。

「人生に意味があるか」という問いを
「人生は価値があるか」という価値判断として
解釈してきました。

もしそうならば、ある基準からは人生には価値があり、
別の基準からいえば価値はない、
ということになります。

ところがこの問いには、もう1つの用法があるのです。

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