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倫理・道徳の精神的満足は続かない

学問・倫理・芸術による
精神的満足(悟性的悦楽)は続きません

理想の追求に限度はない。
しかし能力には限界があるから、
壁にぶつかって失望するときが必ずくる

精神的満足が続かない例として、
真・善・美をもとめる倫理・道徳の道を考えて見ます。

倫理・道徳の喜びは?

これは、ボランティア活動などで、
慈善事業をしている人なんかは、満足できるのではないか
ということです。

誰でも、他人を少しでも幸せにするよう、
努力しなければならないと思います。

徳について、『礼記』には、

徳は得なり。行いて取る所の者なり。

とあります。

ここでは道徳とは
「実際にそれを守り行うならば、結局、得(利益)を
もたらす所の道理」
であるといわれています。

倫理・道徳は、私たちの先輩が、
経験からどうすればお互い幸福になれるかと、
苦心してつくりあげた、人類の知恵の結晶ともいえるものです。

複数の人が気持ちよく生きるために、道徳は大切ですし、
人の為に尽くすことが素晴らしいことであるのは
いうまでもありません。

倫理道徳を決して否定するわけでもなく、
善が素晴らしいということをふまえた上で、
では、善いことだけをしていれば、
それで本当の幸福になれるのか、
といいますと、必ずしもそうではありません。

「人は手を洗うほど汚くなる」
といわれるように、本当に真面目に善をやろうとした人は、
悪から逃れられない自己の限界にぶつかるのです。

キルケゴールは、人間の生き方に「倫理的実存」
という段階があると言っています。

惰性に流されることなく、
つねに道徳的な善・悪の判断を下して良心に従う生き方です。

しかしこの生き方も、結局壁につきあたります。

というのも、彼が良心的であろうとするほど、
真剣に生きようとすればするほど、
彼は自己の有限さ・無力さ・罪深さを痛感し、
絶望を感じざるをえないからです。

もし絶望を感じることなく、自分は完全人道徳的だと
感じている人間がいるとしたら、
その人は自己の不完全さ・限界に気づかない傲慢な人です。

私が今まで読んだ本の中で、
最も強いショックを受けた一つが、
マーク・トウェイン著『人間とは何か』です。

私は高校生の頃、完全な善人になりたいと思っており、
無条件に善は善いことだと思っていました。

ところが、『人間とは何か』に登場する老人は、
「人間がまったく環境に支配されながら
自己中心の欲望で動く機械にすぎない」
ことを青年に論証するのです。

青年 よろしい、じゃ、たとえばこの本に出るある男の場合を言いましょう。この男は三参るほど山の方に住んでました。ひどい大雪、凍るような寒さ、しかも真夜中のことでしたが、ちょうど鉄道馬車に乗ろうとしてル徒、突然、ボロボロの服を着た白髪の婆さんが一人──そうです、なんともいえぬみじめな風体でしたが──つと痩せた手を差し出すと、飢え死にしそうです、どうかお助けくださいと、恵みを乞うたっていうんですね。気がついてみると、男は二十五セント貨幣一つしか持ち合わせてませんでした。が、彼はなんのためらいもなく、それを婆さんにくれてやり、自分はひとりトボトボと雪嵐の中を帰って行ったっていうんですよ。どうです──立派でしょう、美しいでしょう。この親切に、それこそ一点の私利私欲も混じってませんからね。
老人 どうしてまたそう考えるんだね?
青年 だって、ほかにどういう考え方があります?なにかもっと別の考え方があるとおっしゃるんですか?
老人 じゃ、君自身一つその男の身になってみるんだな。そしてそのときどう感じたか、考えたか、言えるかね?
青年 簡単ですよ。苦難にやつれた老婆の姿を見ると、気高い彼の心はたまらない苦痛をおぼえたってことでしょうね。見るにたえなかった。自分が雪嵐の中を三マイル歩いて帰ることは、まだがまんできる。だが、もし哀れなこの老婆を見捨てて行って、そのまま死なせでもしようもんなら、良心が感じるであろうその苦悩のことを考えると、とうていたまらなかったんでしょうね。それを思うと、夜も眠れなかったかもしれぬ。
老人 じゃ、帰る途中、その男の心境はどうだったというのかね?
青年 そうです、あの自己犠牲者だけが味わえる一種の喜びとでもいうか。彼の心は喜びに歌い、雪嵐のことなど忘れてたでしょうね。
老人 いい気持ちだったというのかね?
青年 もちろん、そうでしょうね。
老人 なるほど。だが、それじゃ言うが、そうした状況を数え上げてみた上でだな、いったいその男が二十五セントの報いとしてえたものは、何だったんだね?いわば彼は投資をしたわけだが、その真の理由というのからまず考えてみようじゃないか。
そこでまず第一にはだな、苦悩にゆがんだ老婆の顔から受ける苦痛というのが、彼にはやりきれなかったというんだろう。つまり、彼──いや、その善人ってのは、彼自身の苦痛のことを考えてた。なんとかその痛みをとる薬を買わないじゃいられなかったんだ。もし老婆を助けなければ、彼の良心は、やがて家へ帰りつくまで、彼を苦しめつづけたことだろうな。ここでもまた彼自身の苦痛のことを考えている。いやでもそれに対する気休めを買わんわけにはいかなかった。もし老婆を助けなければ、眠れんかもしれぬ。なんとか眠りを買わなけりゃならん。──どうだ、ここでもまだ自分自身のことを考えている。
 要するに、そういった訳でだな、彼は、胸の鋭い痛みからの解放を買っただけの話。言葉をかえていえばだよ、良心って奴が待ち構えていてあたえるその呵責から、自由、つまり、一夜の眠りだな、それを買ったってだけの話だよ。──しか、たったの二十五セントでね!これにはどうもウォール街の方が顔負けじゃないかな。帰る途々、いい気持ちだったろうよ。歌でも歌ってたろうな。──こんなボロ儲けってのはないからね!
 結局、彼にその老婆を救われた衝動ってのは──第一には──まず己れの心の満足、そしてやっとその次に、老婆の苦難を救ってやろうというにすぎん。いったい君はどんな風に考えるんだね?人間の行動ってのには、ただ一つ、不変不動の中心的衝動とでもいったものがまずあり、すべてはそれから発するとでも考えているのか、それとも多種多様、複数の衝動群から生まれるものと考えてるのか?
青年 もちろん、いろんな衝動中には高潔で立派な衝動もあれば、またそうでないものもありますが、とにかくそうした複数の衝動群からでしょうね。で、あなたのお考えは?
老人 じゃ、言うがね、法則といのはただ一つ。根源もまた一つだってことだな。
青年 つまり、高潔無比の衝動も、低劣無類の衝動も、すべて根源は一つだとおっしゃるんですか?
老人 そう、その通り。
青年 じゃ、その法則とやらを、言葉で言ってみて下さいませんか?
老人 結構、これがその法則だよ、よく憶えとくんだな。
つまり、揺りかごから墓場まで、人間って奴の行動ってのは、終始一貫、絶対にこの唯一最大の動機──すなわち、まず自分自身の安心感、心の慰めを求めるという以外には、絶対にありえんのだな。

私は善をしたいと思っていましたが、
それも自分の満足感を得たいからだ、といわれると
まことにその通りで、
純粋な善でないことに気づいたのです。
私は大変なショックを受けたのです。

純粋な善ができないなら
最初から善もなにもやらないという考えは間違いですが、
簡単にあきらめずに純粋な善をやろうとする
真面目な人ほど、自分中心の心が常に動く
自己の醜さに絶望するのです。

アウグスティヌスは、人から褒められたい、
悪く言われたくないという名誉欲に悩まされたと
言っています。

理想からいえば、真理からはずれて称賛されるよりは、
非難されても真理を守るべきです。
また善いことをして褒められたからといって、
喜ぶ必要はありません。
真理にかなっていることそのものを喜ぶべきであって、
人に褒められて喜んだり、
非難されて悲しんだりするのは、無意味なことです。

このように、純粋な気持ちで善をすることができれば、
常に満足でしょう。しかし実際はどうでしょうか。

善いことをしたとき見返りを期待したり、
褒められたいという心が動いてはいないでしょうか。
だからこそ、善をしたとき称賛されれば気持ちがよいし、
認められないと気分が良くないのです。

アウグスティヌスも
純粋な心で善を追求することはできないと
告白しています。

私は気が狂っていたり、全てのものに誤ったりして、全ての人々に称賛される事を欲するが、それとも終始一貫、真理を固く守って全ての人々に非難されることを欲するかと問われるなら、いずれを選ぶべきか知っています。しかし実は、それだけでは足りません。自分の持っている何らかの美点について、他人が認めてくれたから、それだけいっそう喜ぶということもあってはならないのです。しかし私は告白します。 実は他人が認めてくれるとそれだけ喜び、のみならず、非難されると、その喜びがそれだけ減るというのが、私の現状なのです。(アウグスティヌス『告白』)

必死に善をやった人は、人から良く思われたいという不純な動機が混じっていることに気づき、自己の限界を知らされるのです。

人生の本当の意味とは?

今回、仏教をもとに
人生の本当の意味を解明するため、
仏教の真髄である苦悩の根元を
小冊子にまとめました。

ただし、この内容は、哲学者たちからすれば、
激怒し、抹殺したい内容かも知れません。
いずれにせよ、必ず批判することだろうと思います。
ですから、このことは、なるべく哲学者の皆さんには
言わないでください。

しかし、仏教によらねば、人生の意義を知るすべはありません。
ぜひご覧下さい。

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人生の目的とは

人生の目的の意味を哲学する

現存在(人間)の解明

現存在のすがた① 不満

現存在のすがた② 不安

現存在のすがた③ 快楽

現存在のすがた④ 平静

現存在のすがた⑤ 不幸の忘却

現存在のすがた⑥ 宗教的浄福

真の幸福とは?