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人間の本質

1無限の欲望
2未来が予測できないこと(経験的世界の偶然性)

人間の本質について論じるこれからの話は、
この2つを出発点としたいと思います。

自分の欲望は満足できるし、未来は予測できると言われる方は、
この先の話は関係ありません。
この2つを確かに本当だと思われる方だけ、
続きお読みください。

なお、この2つで述べたことを、
パスカルは「人間の悲惨」と呼んでいます。

悲惨──ソロモンとヨブとは、人間の悲惨をもっともよく知り、もっともよく語った人である。一はもっとも幸福な人、他は もっとも不幸な人。前者は経験によって快楽のむなしさを知り、後者は苦難の現実を知った。(『パンセ』)

ここでパスカルが言いたかったのは、
栄耀栄華のむなしさと、
運命に左右され、災いの前でなす術もない
人間存在のはかなさです。

そこで、ソロモンとヨブの人生を通して、
人間の姿を見つめてみたいと思います。
ソロモンは、大事業をなしとげ、富を手にいれても、
空である、風をとらえるような空しいものだ、
といっています。

こうしてわしは、さきにエルサレムに都しただれよりも、多くの富と力をもった。……わしはみずから世の中で労して得た富を厭うにいたった。いつの日かそれを、わか跡継ぎに残さねばならぬからだ。しかも知者か愚者かわからぬのに、その者がすべての富を支配するようになる、天が下でわしが労し、知恵をもって得たものを。ああ、これもまた空である。
 天が下で労したわがすべての苦労について、またもやわが心は絶望に陥った。ああ、知恵と知識と技能により労して得たものを、労しない者に遺産として与えねばならぬ人の世の習い。これこそ空であり、はなはだよくない。そもそも一生の間炉下おのがすべての苦労と思い煩いに対して、人は一体何を得るのだ。げに彼らは毎日、仕事の苦しみと心配で、夜も心が安まらない。ああ、これもまた空である。(『聖書』中央公論社)

ソロモン王は、日本でいえば豊臣秀吉にあたると思います。
秀吉の場合を考えてみますと、辞世の句はこのようなものでした。

露とおち 露と消えにし 我身かな
難波のことも 夢の又夢

壮大華麗で時の人の目を奪った、
聚楽第落成の際に詠んだものと伝えられています。

秀吉は、天下に自分の思うようにならないものはない
という権勢を持ち、
時に気まぐれのおもむくままに行動をしました。

しかし太閤の心中は、その勢威の絶頂において、
またもっとも寂しかったのではないでしょうか。

パスカルがソロモンの名をあげて言いたかったことは、
どれだけ富・財産を手にいれて思うさまになったとしても、
満足できない人間の姿です。

お金や家など物質的な幸福にどれだけ恵まれていたとしても、
それだけでは満足できないというこです。
これらは生活をより安定させる幸福の材料となるものですから、
もちろん大切なものですが、
ただ生きるだけでは私たちは満足できません。

ところが多くの人は、この不満が何であるかを解明せず、
家、洋服、食事、車など物質的素材を
豊富に整備しようと努めています。

その結果、きりのない生活条件の強化に腐心しつつ、
ついに本当の安心を知ることなく一生を終えてしまう人が
少なくありません。
そういう人は、人生の主題を後回しにして、
二次的問題である生活条件に全関心を集中して
終わったのです。

生活の重点を見損なったのは、決して秀吉だけではありません。

では次に、ヨブの人生を見たいと思います。

ヨブは有力な大地主で、
莫大な財産をもっていました。
同時にヨブは、寡婦や孤児など弱者を保護した
美徳の鑑でした。

彼は内も外もすべてにすぐれた人物であり、
自分でもそう感じて幸せに暮らしていました。

ところがある日、
流れ者の一体がヨブの家畜を奪い、
牧場を焼き払ってしまいます。

財産をことごとく奪われただけでなく、
子供たちも突然の大風で家ごと押しつぶされてしまいました。

そして最後の一撃に、ヨブは頭のてっぺんからつま先まで
悪臭を放つ腫れ物に覆われてしまいます。

こうしてかつての輝かしい農場主は、
すっかり輝きを失ってうずくまりました。

パスカルがヨブをとりあげていいたかったのは、
たとえ何十年順調に栄えていたとしても、
突如として破綻に見舞われるという可能性が
常にあるということです。
人間はいつ何がどうなるか分からない
はかない存在であるということです。

私たちの欲望は無限なので、
順調の喜びも続かないということ、
また無常な世の中では
いつ順調が崩れるかわからないという不安がある、
ということは、
キリスト教とプラトンを統合し、
西洋の思想に大きな影響を与えたアウグスティヌスも
有名な『告白』の中にこう記しています。

この世の順境はわざわいなるかな。しかも、一つならず二重の意味で。
すなわち、順境のうちにはいつか逆境が来はしないかという恐れがあり、また、順境の喜びがいつかは滅びるという二重の意味で。
この世の逆境はわざわいなるかな。それも一つならず二つならず三重の意味で。
すなわち、逆境においてはたまらなく順境が恋しく、また、逆境そのものがつらく、また、いつか逆境に耐えきれなくなる危険があるという三重の意味で。
まことに、地上における人間の生は、間断のない試練ではないでしょうか。(『告白』岩波文庫)

では次から、人間の本質について、
この不満と不安について分析したいと思います。

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人生の目的の意味を哲学する

現存在(人間)の解明

現存在のすがた① 不満

現存在のすがた② 不安

現存在のすがた③ 快楽

現存在のすがた④ 平静

現存在のすがた⑤ 不幸の忘却

現存在のすがた⑥ 宗教的浄福

真の幸福とは?