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神を信じるとは?

まず、神を信じるとは、どんなことでしょうか。

ジョン・ウィズダムの有名な「庭師のたとえ話」
(ジョン・ヒック『宗教の哲学』)をもとに、
神を信じるとはどんなことかを分かりやすくたとえるために、
こんな話を作ってみました。

──オッカム氏と友人クリスチャン氏が、南洋の孤島に旅行に行きました。未開の原野を探検していた時のこと。雑草の茂みの中に、赤や黄色の、見たこともないきれいな花がたくさん咲いている一角を発見したのです。あまりの美しさに二人は息をのみました。
クリスチャン きっと素晴らしい庭師がいて、ここを手入れしているんだよ。
オッカム じゃあどんな庭師か確かめよう。
──そこで二人がしばらく待っていたのですが、いっこうに庭師は現れません。次の日も、その次の日も、人が出入りする気配はありませんでした。
「きっと僕らが寝ているあいだに現れたんだ」ということで、二人が交代しながら夜も見張っていました。それでも庭師は現れません。
クリスチャン 目に見えないのかもしれないよ。
オッカム それなら鉄線を張って、何かが入ってきたら分かるようにしよう。
──二人は鉄線を張り巡らしましたが、それでも侵入者を感知することはできませんでした。
オッカム これで分かったろう。庭師なんかいないのさ。
クリスチャン そんなはずないよ。見てごらんよ。この美しさ。絶対に誰かが手入れしているんだよ。
オッカム だって何も見えないし、触ることできないじゃないか。
クリスチャン 見えもしなければ、触れもしない庭師なんだよ。
オッカム 絶対に感覚でとらえられないような庭師がいるってのかい?
クリスチャン ああそうだ。僕は信じる。こんなきれいな花があるってことは、なんか目的があるんだよ。
オッカム 絶対知ることができない庭師が存在するというのと、庭師なんて存在しないというのとどこが違うんだい?花は自然の法則に従って咲いているだけだよ。
──オッカム氏は花の種を持ちかえり、研究室で性質を調べて大量生産して売り出しました。珍しい花だったので売れ行きは好調で温室栽培で冬も販売し、やがて彼は大金持ちになりました。一方クリスチャン氏は、その島に残り、庭師の見事な技を尊敬し、美しい自然に囲まれて暮らせることに感謝して、慎ましく暮らしました。

ではここで、
「この花は気温が20度を超える頃咲く」
という科学的仮説と、
「この花は絶対に感覚でとらえることのできない庭師が手入れしている」
という宗教的信念
性質を調べてみましょう。

まずこの科学的仮説は、実験することによって、
真偽を確かめることができます。

観察の結果、科学的仮説が正しかったとします。
このとき、科学的仮説は、仮説から法則へと変わります。
すると今度は、その法則を利用して、
来年の春、いつ頃花が咲き始めるかを予測することができます。

また、温室で気温を20度以上にすれば、
冬にでも花を咲かせることができるかもしれません。

そうなれば、花の咲く時期を人為的に操作できるようになります。
一般に科学的知識は、自然現象を予測したり、
操作したりすることに応用できます。

次に、宗教的信念は、真偽を確認できません。

なぜかというと、
絶対に感覚でとらえることのできない庭師が見えないからといって、
庭師が存在しないことにはなりません。
ですから、庭師がいないということを示す証拠は存在しません。

庭師は私たちの感覚でとらえられないのですから、
庭師が存在する証拠も、もちろん観察によってはえられません。

ですから、庭師は存在するともしないとも、
観察からだけでは確認できないのです。

先の話でいえば、オッカム氏は庭師の存在を信じていませんが、
存在しない証拠をもっていたのではありません。

庭師など考えなくても花の栽培には何の影響もないので、
余計なものをわざわざ考えない、
という思考の経済から庭師を無視したのです。

では、クリスチャン氏の「庭師が存在する」
という信念は一体何なのでしょうか。

クリスチャン氏が「庭師が存在する」と信じたのは、
こんな所に美しく話が咲いているということは、
意志・目的をもった人格的な存在の働きがあったからだ、
と考えたからです。

自然がただの機械だったら、ここまで美しいものはできないだろう
という論理的には根拠のない推論によって、
自然とそれをつかさどる庭師の二種類の存在があると考え、
存在者を一つ増やしたのです。

「増やした」ということは、自分で庭師という存在を
「造り出した」ということです。
あるいは論理的な根拠もなしに、
庭師が存在すると「思い込んだ」
ということになります。

逆にオッカム氏は、自然をただの精巧な機械と考えたのです。

ここで注意しなければならないのは、
「庭師が存在する」
と信じたからといって、
自然について何か新しいことが分かるわけではない

ということです。

庭師は自然の「外」にいて、
仮に存在したとしても自然にはなんの影響も与えません。

ですから庭師が存在しようとしまいと、
自然界および自然法則にはまったく影響しないのです。

つまり、宗教的信念は、科学法則と違って、
自然現象の予測・操作には、全く役に立たないのです。

では、なぜ神を信じたりするのでしょうか。

そこで次に、神を信じる利点について考えて見たいと思います。

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