哲学タイトル
哲学.jpTOP > 人間の本質 > 幸福の平常化

幸福の平常化

我々は苦痛は感じるが、しかし苦痛のないことは感じない。心配は感じるが、心配のないことは感じない。恐怖は感じるが、身の安全は感じない。
(ショーペンハウエル『意志と表象としての世界 続編(III)』

幸福は、すぐその状態が当たり前になり、意識されなくなる。逆に不満、不平は常に意識される。まったくの健康状態にあるものが、自分の健康全般よりも「靴ずれのする小さな箇所」に気をとられるように。(ショーペンハウエル)

私たちは本当に普段から幸福を感じているのかどうか、
もう一度考えて見ましょう。

人は自分の意志通りに順調に動いているものについては、
あまり気づくこともありませんし、
注意することもありません。

例えば、「今日も健康だ、良かった」
と毎日意識する人は、病気の再発を心配する人ぐらいで、
普通はそんなことは気にも留めません。

しかし、ちょっと胃に痛みを感じれば、
どうしたんだろう、
と痛い部分に関心が向きます。

つまり、普通の人は健康全般よりも、
小さいな以上のほうを強く意識します。

これをショーペンハウエルは、河で譬えて、
苦痛と幸福の不均衡を説明しています。

あたかも小河が何の障碍にも出会わない限りは渦をなさないように、我々も我々の意志通りに動いているすべてのものには余り気もつかず注意もしない、というのが人間ならびに動物の本来の姿である。もしも我々が何かに気づくことがあるとすれば、それは我々の意志通りにいっていないことがある証拠で、なんらかの障碍につきあたっているに相違ないのである。──ところが、我々の意志に逆らい、それを妨害し、それに対抗しているような一切のもの、すなわち不快で苦痛な一切のものは、我々はそれを直接に即座にそして極めて明瞭に感ずる。ちょうど我々が身体全体の健康は感じないで、靴擦れのする小さな箇所が気になるといった具合に、我々はまた完全にうまくいっている事柄全体のことは考えないで、我々を不幸にする何かしらほんの小さなことを気にするのである。
(ショーペンハウエル『世界の苦悩に関する教説によせる補遺』)

私たちが一番高く評価している
「健康、若さ、自由」は
「人生における三大幸福」でしょう。

でも「我々は苦痛は感じるが、
しかし苦痛のないことは感じない。
心配は感じるが、心配のないことは感じない。
恐怖は感じるが、身の安全は感じない。」
という言葉の通り、
健康や若さ、自由というものは普段は意識されません。

昔から病気になって初めて
健康の有難みが分かると言われます。

健康でなくなればもちろん苦しみを感じます。
でも、身体に何も問題がない状態が健康なのですから、
「健康はありがたい」
と感じるのは、特別なきっかけがある時だけです。

病人を見たり、自分の病気が治ったりしたときには、
改めて自分の幸せ全体に注意してみて、
感謝の心が出てくるかもしれません。
でも、毎日、自分の健康を喜んでいる人がどれだけいるでしょうか。

若さについても同じことが言えます。

若い時はどれだけでもムリができますし、
自分の思い通りに体が動きます。
しかし、そんなことを気にかけている若者が
いるでしょうか。

年を取ってだんだん昔のようにはムリがきかなくなって、
思うように動けなくなったら老いを感じるでしょう。

しかし若い人が自分の若さを
いつも喜んでいるとは思えません。

それどころか、もっと旅行がしたい、
車が欲しい、遊びたい、
あれが欲しい、これが欲しいと
不満ばかり感じているのではないでしょうか。

自由もとても有り難いことです。

世界には内戦が続いて、自由を勝ち取るために
子供から女性まで武器を持って戦っている国があります。

独裁者に虐げられている国の人や、
迫害されている少数民族など、
自由のない人たちはたくさんいるでしょう。

それに比べたら、私たちはどれだけ恵まれているか分かりません。

しかし「私の国は自由で幸せだ」
「こんなに安全な生活ができて、ありがたいことだ」
というように、恵まれた環境を喜んで、
いつも感謝している人など、見たことがありません。

戦争になって無理矢理国の為に働かされて、
自由を失えばたちまち苦しむことになるでしょう。
それなのに、自由や安全ということも、 やはり普段は幸せでもなんでもないようです。

健康にしても自由にしても、
これほどすばらしい幸福は他にないでしょう。
しかし、これはみんな空気みたいなもので、
毎日の生活を可能にする大切な条件ではありますが、
特別な動機がないかぎり、喜ぶことがないのです。

それなのに、どうでもいい不満だけは、
次から次へと出てきます。
自分が今いる状況全体の幸福に
感謝することができれば、どれだけ心が休まるか分かりません。

そんな人は滅多にいないのではないでしょうか。

何事にも感謝できる人は幸せです。

「自分はこんな幸せに恵まれるような人間ではないのに、
ありがたいことだ」
と感謝の日暮らしをすれば、
さぞかし満ち足りた生活になるでしょう。

老子が「足るを知るの足るは、常に足るを知る」
といっているように、
現状に満足できる人は、常に変わらぬ満足が得られるでしょう。

ところが現実は、老子のような境地には簡単には出られません。

むしろどれだけ恵まれていても、
まだあれが足りない、これが不足だ、
あの人がもっとこうすれば、ああなれば……
と不満ばかり次々と出てきて苦しんでいるのが
実状ではないでしょうか。
アンケートで他人から「あなたは幸せですか?」
と聞かれれば、自尊心もあって多くの人は
「中の上くらい」
などと答えるでしょう。

しかし本当に毎日満足しているのかどうか、
よく反省してみなければなりません。

次に、欲望には、どんな種類のものがあるか、見ておきましょう。

「不満・欲求」は次の3つです。

感性的欲求(肉体的・感覚的な欲望)
悟性的欲求(精神的価値の欲求)
空虚・倦怠・退屈

人生の本当の意味とは?

今回、仏教をもとに
人生の本当の意味を解明するため、
仏教の真髄である苦悩の根元を
小冊子にまとめました。

ただし、この内容は、哲学者たちからすれば、
激怒し、抹殺したい内容かも知れません。
いずれにせよ、必ず批判することだろうと思います。
ですから、このことは、なるべく哲学者の皆さんには
言わないでください。

しかし、仏教によらねば、人生の意義を知るすべはありません。
ぜひご覧下さい。

アドレス:

特典1:
今なら伝えたい内容をもっと正確にフォローするため、
21回のメール講座もついています。

特典2:
さらに、お申し込み後、ある条件を満たして頂きますと、
加えて2つのスペシャルレポートを差し上げます。

人生の目的とは

人生の目的の意味を哲学する

現存在(人間)の解明

現存在のすがた① 不満

現存在のすがた② 不安

現存在のすがた③ 快楽

現存在のすがた④ 平静

現存在のすがた⑤ 不幸の忘却

現存在のすがた⑥ 宗教的浄福

真の幸福とは?