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宗教的浄福の限界

神を信じるという宗教的信念は、
自分が造り出すものだと、すでに明らかにしました。

この信念は所詮自分で作ったものなので、
崩れないという保証はどこにもありません。

神の試練とはいいながら、
あまりにも大きな不幸がやってきたら、
普通は神の愛など信じることはできなくなってしまうでしょう。

最初に取り上げた『ヨブ記』の続きをみてみましょう。

およそ考えうる限りの不幸に一度に見舞われたヨブは、
身に覚えのない神の仕打ちの理解に苦しみます。

神の世界支配の公平さを疑ったヨブは、
ついに自らの潔白を誓いつつ、
神に挑戦状をたたきつけるのです。

「見よ、私は潔白だ、全能者よ、答えたまえ。
わが弁護士よ、弁護状を書いてくれ」と。

このヨブにたいしての神の反問は、
まったく意表をついたものでした。

私が大地を創ったとき、お前はどこにいたのか。
誰が大地の広さを決めたのか、お前は知っているか……。

そしてその後、あれだけ威勢のよかったヨブが、
「ご覧下さい、私はちっぽけな者です」
とすっかりおとなしくなってしまうのです。

しかし現実問題として、
こんなに都合よく神を信じられる人がいるでしょうか。

実際には、不幸がやってきたら、
信心がぐらつき、あまりにも大きな不幸がやってきたら、
信仰が吹き飛んでしまうのではないでしょうか。

千葉県の小学校教諭の長女麻意ちゃんが、
急性白血病のために七歳八ヶ月で亡くなるまでの闘病記録が、
『麻意ね、死ぬのがこわいの』(石黒美佐子・立風書房)
という題名で出版されました。

麻意ちゃんが発病したのは四歳のときです。

ママ、死ぬなんてこわいね。死んだらどうなっちゃうんだろうろ」
と死について口にし始めたため、
キリスト教の司祭が話をしました。
そして六歳のとき、洗礼を受けています。

しかし、司祭に、
「先生、麻意は神様を信じているけれど、
死ぬのが怖いのはなぜですか」

「死ぬのが怖くて、お祈りすると少しはおさまるけれど、
やっぱり死ぬのが怖いんです。
死ぬのが怖いときはどうすればいいんですか」
と厳しい問いを投げかけています。

宗教を信じるということはね
自分で神か何かを作り上げ、
それによって自分を慰めようとすることですから、
深く信じることができる人はそれなりの幸福を感じるでしょう。

しかし、それはあくまでも自分で生み出す
人工的な満足ですから、限界があります。

すべての人が、いかなる場合でも
神を深く信じることができない以上、
キリスト教ですべての人が崩れない安心満足をえることは
不可能なのです。

神を信じる宗教にまったく利点がないわけではありませんが、
スピノザが期待したような、不変で完全な幸福にになることは、
できないのです。

「神を信じる」ということは、
世界を神が支配していると自分が「思いこむ」ということである。
宗教的信心は自分が「作り上げた」ものであるから、
いくらかの満足を得ることができたとしても、
崩れない本当の幸福になれる保証はどこにもない。

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ですから、このことは、なるべく哲学者の皆さんには
言わないでください。

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