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自己省察によって不安が生じる

「王は、かれの気を紛らし、かれに自己省察をさせまいと考えている人々に、とりまかれている。なぜなら、いかに王であっても、自分に思いをいたせば不幸になるからである」(パスカル『パンセ』)
──自分が持っている幸福もいつ失われるかわからない。
健康もやがて老いと病に侵される。
世の無常に思いをはせたとき、人は不安になる。
大きな福運は、それだけ憂わしい。
「黄金おおき者は恐れあり、黄金なき者は悲しみあり」

私たちがどれだけ多くの幸福に恵まれていたとしても、
常住の幸せはありません。

下り坂を駆け降りるように時間が流れ、
世界はせわしなく動いているからです。

運命にいともたやすく左右されてしまう頼りない存在が人間です。
金持ちが事業に失敗して転落したり、
スポーツ選手が悲運の負傷に泣いたり、
交通戦争で大事な家族を亡くしたり……
いかにこの世の幸福がはかないものか。
毎日ニュースで飛び込んでくるのは無常という
厳粛な事実です。

普段忘れているこの無常という現実に引き戻されたとき、
「今の幸福は崩れるのではないか」という不安が生まれます。

こういう不安な心になるのは、
王であっても同じであり、
だからこそ無常ということは、見ないように、
考えないようにしようと、
気ばらしをしていると、
パスカルはいっています。

どんな身分を想像しても、われわれの所有しうるあらゆる利益をあつめてみても、世に王位ほど立派な地位はない。しかしながら、その王が、かれのうけるあらゆる満足でとりまかれていると仮定しても、もしかれがなんらの気ばらしもなく、ただ自分が何者であるかを沈思黙考させられるとしたら、この物憂い幸福は彼を活気づけることはできず、かれは自分をおびやかしている災い、将来おこりうる反乱、ついには避けがたい死や病などに必ず思いをいたすであろう。そういうわけで、いわゆる気ばらしがなければ、かれは不幸であり、賭事や気ばらしをする臣下のもっとも卑しいものよりも一層不幸なのである。
ここから、賭事、婦人との談話、戦争、高い地位などが大いに追求されるということになる。それは、そこに実際、幸福があるというのでもなければ、真の幸福は賭事で儲ける金とか、狩りで追いかける兎を得ることにあると思っているわけでもない。そんなものは、それをやろうといわれても欲しくないだろう。人が求めるのは、我々が我々の不幸な状態について考えるままにさせておくような無事平穏な日常生活ではない。また、戦争の危険でも、仕事の苦労でもなくて、我々の不幸な状態から思いをそらし、気を紛らせてくれる忙しさを求めているのである。(パスカル『パンセ』)

それほど毎日不安に思わないのは、
それこそまさに気ばらしによって、
現実から目をそらしている姿です。

気晴らしによる不幸の忘却については後で論じますが、
まったく心配なしに幸福を楽しむことは、
永久運動のように不可能なものだと
パスカルはいっています。

我々はまったく不幸なので、一つのことを楽しむにも、それがまずく行きはしないかと心配せずにいられない。それは無数のことがつねにまずく行きうるし、また行っているからだ。反対の災いを心配することなしに幸福を楽しむ秘訣を見出した人は、金的を射た人だといえよう。が、それは永久運動だ。(パスカル『パンセ』)

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