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人生の意味は自分で造り出すものではないか?

「人生の意味なんか探しても、見つからないよ」

「自分の生き方を自分で決断して、そこに満足を見いだす
それが意味のある人生なんだ。
どう生きるべきかは決まってなんかないよ」

という人があります。

サルトルも
人間は自由であるように呪われている
と言っています。

そんな人は、こんなふうに、考えを進めて行きます。

だからこそ、自由に選択して進もうとするとき、
当然だれかに指示を求めたり、何かを拠り所にすることはできない。
一つ一つの決断はすべて自己責任だから、不安になる。

それで人は、おうおうにして自由の重荷から逃げようとするのだ。

長いものには巻かれろ式の人間、
大人が金儲けのためにつくった流行を追い求めて
踊らされているだけの軽薄な若者が出てくるのではないか。

自ら選択し、自ら決意する自由に絶えかねて、
何ものかに逃げたり、何者かに依存したり、
何ものかに決定をゆだねたりすることはすべて
自己欺瞞かもしれない。

私たちは、絶えず、現在の一歩を
自己責任で踏み出さなければならないのだ。

実存主義哲学のサルトルは、こう言っています。

われわれが価値をつくるということはただ、
人生は先験的(生まれつき)には意味をもたないということを意味しているにすぎない。諸君がいきる以前において人生は無である。しかし人生に意味を与えるのは諸君の仕事であり、価値とは諸君の選ぶこの意味以外のものではない。
(サルトル、伊吹武彦訳『実存主義とは何か』(人文書院、1955年))

たしかに、自分で自分の生き方をしっかり考えるのが大切なのは言うまでもありませんが、一つ問題があります。

自分が選んだ生き方なら必ず意味があるのでしょうか。

例えば人生の目的は超能力を身に付けて宙に浮いたり、
長い間水に潜っていられるようになることだと考えて
「修行?」している人がいたとします。

実際に新興宗教の中には、
酸素が薄い状態でも危険状態にならなかったから、
この教えの真実性が「科学的」に証明されたなどと
極めて非科学的なことをいっているものもあります。

いくら本人が選択したとはいえ、そんなことに熱中するのは、
時間の無駄遣いでしょう。

昔は宗教に救いを求める理由は病気や借金と決まっていましたが、
今日ではとくに生活上の問題のない若者が
新興宗教や、新々宗教に迷っています。

とにかく理性的に考えることを放棄した人の言動を考えていても、
それはまた時間の無駄ですから、
自分の選択が無条件に意味があるのではない、
という問題点だけ指摘しておきましょう。

人生の本当の意味とは?

今回、仏教をもとに
人生の本当の意味を解明するため、
仏教の真髄である苦悩の根元を
小冊子にまとめました。

ただし、この内容は、哲学者たちからすれば、
激怒し、抹殺したい内容かも知れません。
いずれにせよ、必ず批判することだろうと思います。
ですから、このことは、なるべく哲学者の皆さんには
言わないでください。

しかし、仏教によらねば、人生の意義を知るすべはありません。
ぜひご覧下さい。

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人生の目的とは

人生の目的の意味を哲学する

現存在(人間)の解明

現存在のすがた① 不満

現存在のすがた② 不安

現存在のすがた③ 快楽

現存在のすがた④ 平静

現存在のすがた⑤ 不幸の忘却

現存在のすがた⑥ 宗教的浄福

真の幸福とは?