もう1つの人生の意味
「人生の意味」には「人生の価値」の他に、
もう1つの意味があります。
それについて、ドイツの哲学者、
ハンフリングはこう言っています。
私たちが人生の意味について尋ねたり議論するときに、
実際はそのことで次のような不安を表現していることに
気づくべきである。
すなわち人生に──曖昧な表現ではあるが──
「なんらかの過ち」があるのではないか、
その人生が人間の条件としては何か不十分なもの、
不満足なものではないかという不安である。
そしてこうした不安に対して「無意味」という言葉を用いたり、
「人生にどんな意味があるか」
という問いかけをすることが、
ふさわしく感じられるのかもしれない。
(O.ハンフリング、良峯徳和訳『意味の探求』(玉川大学出版部、1992年))
トルストイは、著作活動の全盛期に、
すべての活動に意味が感じられなくなりました。
そのとき、農奴たちが日々の仕事に
満足して暮らしているのをみて驚いています。
しかしこれは、農奴の価値基準が甘くて
トルストイのは厳しすぎた、
というだけのことではないのです。
そもそも農奴たちには、
「このままでよいのか、何かが足りないののでは」
という不安はなかったのです。
トルストイが求めていたのは、この不安の解決であって、
「こういう理由で人生には意味があるんだ」
という説明ではありません。
「人生に意味はあるのか」
「人生の目的は何なのか」
と悩んでいる人に、あなたの価値基準は厳しすぎるとか、
そもそも客観的な価値判断はないんだ、
などと言っても何の解決にもならないでしょう。
この問いは、質問者自身もよく分かっていない不安の表明なのです。
そういう意味から言えば、この場合に問われている
人生の意味、人生の目的は、
「質問者のかかえている不安・不満の解決」
つまり
「心から安心・満足できる本当の幸福」
になります。
この不安はどうしたら無くなるのか、
と聞いているのですから、
その人は真の幸せになる方法は尋ねていることになります。
これで「人生の意味は?」という問いにどんな意味があるのか、
分析は終わりました。
人生の本当の意味とは?
今回、仏教をもとに
人生の本当の意味を解明するため、
仏教の真髄である苦悩の根元を
小冊子にまとめました。
ただし、この内容は、哲学者たちからすれば、
激怒し、抹殺したい内容かも知れません。
いずれにせよ、必ず批判することだろうと思います。
ですから、このことは、なるべく哲学者の皆さんには
言わないでください。
しかし、仏教によらねば、人生の意義を知るすべはありません。
ぜひご覧下さい。
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