人生の目的は決まっているか
「人生の目的が、あらかじめ決まっているはずないよ」
普通はそう思うのではないでしょうか。
これは、サルトルの「実存は本質に先立つ」ということです。
たとえば書物とかペーパー・ナイフのような、造られたある一つの物体を考えて見よう。
この場合、この物体は、一つの概念を頭にえがいた職人によって造られたものである。
……
したがつてペーパー・ナイフは、ある仕方で造られる物体であると同時に、一方では一定の用途をもっている。
……
ゆえにペーパー・ナイフに関しては、本質──すなわちペーパー・ナイフを製造し、ペーパー・ナイフを定義しうるための製法や性質の全体──は、実存に先立つといえる。
(サルトル、伊吹武彦訳『実存主義とは何か』(人文書院、1955年))
では、私たち人間だったらどうでしょうか。
サルトルは同書の中で、このように言っています。
実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何ものでもないからである。人間はあとになって初めて人間になるのであり、人間はみずからがつくったところのものになるのである。
このように人間の本性は存在しない。
その本性を考える神が存在しないからである。
(サルトル、伊吹武彦訳『実存主義とは何か』(人文書院、1955年))
人生の本当の意味とは?
今回、仏教をもとに
人生の本当の意味を解明するため、
仏教の真髄である苦悩の根元を
小冊子にまとめました。
ただし、この内容は、哲学者たちからすれば、
激怒し、抹殺したい内容かも知れません。
いずれにせよ、必ず批判することだろうと思います。
ですから、このことは、なるべく哲学者の皆さんには
言わないでください。
しかし、仏教によらねば、人生の意義を知るすべはありません。
ぜひご覧下さい。
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