感性的欲求(肉体的・感覚的快楽)
富・名誉・官能的快楽などによる幸福(肉体的・感覚的快楽)を
人は強く求めている。
感性的欲求とは、肉体的、感覚的な欲望で、
「富・名誉・官能的快楽」などの幸福を求める心です。
この三つは人間が生きていく上で
もっとも多くの関わりをもち、
また人間が最高善とみなしているものだと
スピノザはいっています。(『知的改善論』河出書房)
私たちが名誉を求める心がいかに強いか、
パスカルは『パンセ』に次のように書いています。
我々はいたって自惚れが強いので、全世界から知られ、
自分の死後生まれてくる人々からまでも知られたいと思う。
またわれわれはきわめて空虚なので、
我々をとりまく5、6人の連中から褒められれば、
よい気になって満足する。(パスカル『パンセ』)
虚栄は人間の心に深く錨をおろしているので、兵士も従卒も、コックも人足も、それぞれ自慢して、自分の称賛者をえようとする。哲学者ですら、同じことを望む。栄誉に反する論者も、よく論じたという栄誉をえたいと願う。またそれを読む人も、それを読んだという栄誉をえようと思う。そして、これを書いている私も、おそらく同じ欲望を持っているだろう。またおそらくこれを読む人も……(パスカル『パンセ』)
高慢──好奇心は虚栄にほかならない。多くの場合、人が知ろうとするのは、それを話すためにほかならない。そうでなければ、人は航海などしないであろう。そのことをべつに話すのでもなく、また見たことを一人たのしむだけで、人に伝えるという希望もなければ。(パスカル『パンセ』)
ドイツの哲学者、ニーチェも虚栄心の特徴を暴いています。
私たちは他の人を騙して自分を高く評価するように
自分でしむけておきながら、誉められると喜んでいます。
虚栄に満ちた人にあっては、自分に対する関心、自分を喜ばせたいという欲求が強いために、他人が自分について間違った見解を、あまりにも高い評価を抱くように誘導し、しかもその際に、この他人の権威に自分を結びつけるのである。
つまり誤謬を作りだし、しかもその誤謬を信仰するのである。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的』)
人生の本当の意味とは?
今回、仏教をもとに
人生の本当の意味を解明するため、
仏教の真髄である苦悩の根元を
小冊子にまとめました。
ただし、この内容は、哲学者たちからすれば、
激怒し、抹殺したい内容かも知れません。
いずれにせよ、必ず批判することだろうと思います。
ですから、このことは、なるべく哲学者の皆さんには
言わないでください。
しかし、仏教によらねば、人生の意義を知るすべはありません。
ぜひご覧下さい。
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