科学は人生の意味を奪うか
神を必要としない科学的世界像は、
人間から人生の意味を奪ったとする人もあります。
物理学者は神を持ち出さずに宇宙の始まりを説明し、
生物学者は、人間は、利己的遺伝子を
次の世代へ伝えるための乗り物に過ぎない
と説明します。
では、本当に人生から意味がなくなったのでしょうか。
科学が説明することは、どういう物事の後に、
どういう物事が生じるのか、ということです。
つまり、科学は、物事がなぜ存在するのかについては説明しません。
例えば、宇宙の始まりについては、
百何十億年前にビッグバンが起きて、
その後何秒後に急激に膨張して……、
というように説明されます。
また、人間がいかにして生まれてきたかについては、
精子と卵子が結合し、染色体が減数分裂して、
卵割が進んで、器官が分化して……、
といった具合です。
しかし、科学は決して、
なぜそもそも宇宙が存在するのか、
何のためにその人は生まれてきたのか、
という目的については、一切語らないのです。
それは、科学の管轄外なのです。
科学がなぜ宇宙や人間が存在するのかを説明しないからといって、
人生が無意味になるわけではありません。
ただ物理学が神を持ち出さずに詳しく宇宙の始まりを説明したため、
神が存在する必要がなくなっただけのことです。
前項で論じたように、神が存在しないことによって失われる目的は
「道具目的」ですから、
「科学が人間から人生の目的を奪った」
という主張は、
「人間は神の道具ではなくなった」
という意味でなら正しいですが、
「私が生きて求めるべきものがなくなった」
と解釈するならば誤りです。
科学は人生の目的を奪うどころか、
目的達成のためのすばらしい手段なのです。
もしガーデンパーティーで私が、ある男に
「君の目的は何か」
と尋ねたら、彼を侮辱することになる。
「何のために君はいるのか」
と聞いてもよかったかもしれない。
このような質問は、彼を機械的装置、家畜、おそらくは奴隷のレベルまで見下している。
我々が彼に、彼が追求すべき課題・目標・目的を与えるのであって、彼の望み・希望・抱負そして目的は意味がほとんどないか無意味であるということを、私は暗示しているのである。我々は彼を、カントの言葉でいえば目的としてでなく単なる手段として扱っているのである。
キリスト教的世界像と科学的世界像は、まさにこの点で根本的に異なっている。
科学が人間から奪うのはこの意味での目的である。科学は人間を、自分以外の何者からも目的を与えられてはいないとみなす。それは人間から、外部のいかなる力から与えられたいかなる目標・目的・宿命をも奪いとる。一方キリスト教的世界観では、人間は被造物、神の産物、(作られた)ロボットと(生きている)動物との中間の何か、つまり神の工場で製造された人体模型、フランケンシュタインのようなものとみなされ、人間は造物主から目的・課題を与えられたことになるのである。
(Baier, op.cit.)
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